話を聞いた人
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髙田 常雄さん(鍼灸師)
1951年、東京都生まれ。1988年に鍼灸学校を卒業し、はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得したのち、東京都北区赤羽に「健康ハウス・タカダ」を開業。2023年6月に東京都鍼灸師会会長を退任し、現在は東京都鍼灸師連盟委員長、日本鍼灸師会連盟委員、公益法人全日本鍼灸学会監事を務める。主任ケアマネジャー、介護支援専門員研修指導者なども兼務。趣味は温泉巡りや山歩き。
鍼灸とのまさかすぎる出会い
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──髙田さんは鍼灸師になって何年目ですか?
資格を取ったのは1988年で、健康ハウス・タカダを開業したのが1989年なので34年くらいになります。僕は鍼灸師になったのが少し遅くて、専門学校に通い始めたのは31歳ぐらいでした。
もともとは小さな出版社で編集や営業の仕事をしてたんです。先日、八重洲ブックセンターが閉店したでしょう? 僕はあの本屋の営業担当だったんです。
──なぜ営業職から鍼灸師に?
店長や責任者に会うためにあちこちの出版社から営業担当が来て順番待ちをするんですよ。待っている間に店内を歩いていたら、東洋医学のコーナーで『鍼灸医術の門』(柳谷素霊、石山針灸学社)という本が目に留まったんです。
ページをめくると「行鍼施灸は芸術だ。道楽心がなければできない業だ。おもしろいではないか、一本の鍼、一撮の艾(もぐさ)で万病を治し得るならば。愉快ではないか、鍼灸をして万薬の作用をおこさせるとしたなら」と書かれていたんです。その“道楽心”という言葉にグッときてね、居ても立ってもいられなくて次の日に都内の鍼灸学校のパンフレットを5、6校分集めたんですよ。その中に柳谷素霊の学校(東洋鍼灸専門学校)があったので、出版社を辞めて受験することにしたんです。
──とんでもない行動力ですね。
僕は飽きっぽくて、すぐに行動を起こさないと気がすまない性分なんです。いざ受験となったのですが一度目は落ちてしまいまして、アルバイトをしながら浪人して二度目の試験で合格しました。
資格を取得してから時間を空けるとまた飽きてしまうと思い、すぐ開業することにしました。
──出版社に未練はなかったですか?
本当は別の仕事がしたかったのですが採用されなくて、出版社には仕方がなく入社したんです。でも、今考えるとおもしろかったですよ。僕は日本画家を担当していて、文化勲章を受賞した平山郁夫さんなど有名な画家とも仕事ができました。
──浪人時代はどんなアルバイトをしていたんですか?
義理の兄貴が鉄工所を経営していたので、溶接の免許を取得してそこで働かせてもらいました。溶接の仕事も楽しかったです。図面どおりに作ると商品が生まれるという実感がありましたから。
現在、うちの鍼灸院で使っている鉄製のベッドも僕が作りました。僕の身長や体重に合わせて設計したので余計な力を使わず効率的に治療できるんです。
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──鍼灸師としての経験と実績を重ね、東京都鍼灸師会会長を務めました。どのような仕事をされたのでしょう?
講習会や研修会に出席したり、各自治体で鍼灸の普及活動をおこなったりしつつ、それらの事業の進行状況を確認していました。
あとは、政治家に対する要望活動などです。僕は日本鍼灸師会の役員でもあるため、東京の鍼灸師会のためだけではなく、鍼灸業界全体のためにこういうことをしてほしいと要望を出したりもするんです。
2021年に東京でオリンピック・パラリンピックが開催されましたよね。2013年に東京での開催が決まったあと、鍼灸師を選手村総合診療所に採用してもらえるよう、JOC(日本オリンピック委員会)に働きかけました。>
──それは重要な役割ですね。 働きかけの結果、選手村での採用は叶ったのでしょうか?
はじめは「医師や理学療法士がいるので鍼灸師は配置できない」と見送られましたが、IOC(国際オリンピック委員会)からJOCに鍼灸師をコンディショニングサポートとして採用するよう通達があり、11人の鍼灸師が選手村に入ることができました。
当初は外国人選手たちが鍼治療にどのような反応をするか不安でしたが、彼らは鍼についてよく理解していてね、鍼治療を希望する人が多くいました。
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医師たちも鍼灸への理解がありました。自律神経の状態が悪い選手がいて、医師から鍼灸師に相談があったため鍼治療をおこなったと聞いています。その選手は何度も治療に来て、自分の試合が終わってからは「おかげでいい成績を残せた」とわざわざあいさつに来たそうです。
──髙田さん自身も治療に参加したんですか?
現場の治療は若い鍼灸師にすべて任せて、トラブルがあったときに出ていく役割です。若い人たちが経験を積んで成長できるし、選手たちと撮った写真を治療院に飾ることもできますしね。
あまりにも深すぎる鍼の歴史
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──素朴な疑問なのですが、鍼は体のどの部分に刺しているんですか?
主に経穴(けいけつ)と呼ばれるツボです。体には経絡(けいらく)というツボをつなぐ道が14本あり、経絡上には360個以上のツボが存在します。経絡は筋肉と筋肉の隙間や骨のキワなどで、ツボは経絡上の凹んでいたり膨らんでいたりする「触ると感覚が違うな〜」というところです。
経絡と経穴の関係は鉄道に似ています。経絡を路線、経穴を駅のように考えていただくと解りやすいでしょう。
──こういった鍼治療はいつ誕生したのでしょう?
中国では2000年以上の歴史があるとされています。当初は皇帝に対する治療の一つでしたが、位の高い人たちを裸にして鍼を刺すわけにはいかなかったため、まずは囚人に鍼を刺して試していたそうです。その積み重ねで「ここに刺すと腰が良くなる」などの知識が蓄積されていったんですね。中国最古の医学書『黄帝内経霊枢(こうていだいきょうれいすう)』にこの記録が残されています。
日本に伝来したのは7世紀ころといわれています。このころの医学書にも「鍼医師」と記されていることから、鍼灸の歴史の長さがわかります。
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江戸時代にはこんな逸話があります。鍼灸医学会の中興の祖とされる杉山和一(すぎやまわいち)という鍼師がいました。この人は盲人で、位の高い人たちの治療を許される検校(けんぎょう・盲人の役職の最高位)でした。
和一は徳川綱吉の難病を鍼で治したといわれています。これにいたく感動した綱吉は「望みの褒美をなんでも授ける」と言ったところ、和一は「私は目が見えないので目が欲しい」とお願いしました。そこで綱吉は土地を与えたんです。その土地が本所一ツ目、現在の東京都墨田区区の江島杉山神社で、和一はこの神社に祭られています。
目を与えるなんて綱吉は粋な将軍だと思うし、鍼は当時から重要な治療とされてきたんですね。