1950年に始まったミス日本コンテストは年に1回開催されています。同コンテストで求められるのは「日本らしい美しさ」です。外見の美しさだけでなく、日々の研鑽や物事に取り組む姿勢も問われます。
ミス日本の審査は7月に書類選考がおこなわれ、合格者のみが地区大会に参加できます。さらにその結果をもとに、8月下旬には12〜13人程度のファイナリストが選出され1月の本選に臨む流れです。
2024年1月に開催された第56回ミス日本コンテストにおけるファイナリストのひとりであり、研修医の早川さんに出場を決めた理由と大会を通して得た思いを尋ねました。
話を聞いた人
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早川知里さん(ミス日本ファイナリスト 研修医)
沖縄県出身の26歳。東京医科大学医学部医学科入学を機に上京。第117回(2022年度)医師国家試験に合格後、日本医科大学付属病院に研修医として勤務し、将来は皮膚科医を目指している。第56回ミス日本コンテストに出場しファイナリストに選出された。
コンプレックスを克服し気持ちに変化
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──新社会人・研修医1年目で慣れないことや勉強も多い時期だと思います。なぜこのタイミングでミス日本へ出場しようと思ったのでしょうか?
早川さん:医師としても一個人としても成長できるチャンスだと思ったからです。応募したのは2023年2月の医師国家試験直後だったので、その時点では実際に医師として働いている姿が想像できませんでした。
ただ、実際に働き出すことで目標もより明確になると思っていましたし、医療分野以外の人や情報に触れ、知見を広げるためにもこのタイミングを選びました。
──これまでほかのコンテストに応募したことは?
ミス日本が初めてでした。幼少期から芸能界に憧れがあり、バレエやヒップホップダンスを習っていたのですが、容姿に自信が持てず人前に立つのも苦手でした。なので、オーディションを受けたりコンテストに出たりする勇気が持てなかったんです。
10代のころはなりたい理想の自分とのギャップに葛藤していた時期でしたね。
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──もともと自信があったわけではなかったのですね。ではなぜミス日本へ応募するに至ったのでしょうか?
きっかけは大学入学後にコンプレックスを克服したことです。上京当時の私は受験のストレスで体重が増え、肌荒れもひどかったんです。それでも心の片隅に「人前に立ちたい」という気持ちがありました。
そこで試みたのが、肌の改善と減量です。学生だったので、美容皮膚科のレーザーや点滴治療には手が届かず、一般皮膚科への通院と大学で学んだ知識をもとにした美容法を取り入れました。
具体的には、代謝を上げるために毎日湯船に浸かること、小麦製品を摂らないグルテンフリーの食事、8時間の睡眠を確保することを厳守して、肌荒れの改善と7キロの減量に成功しました。
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──見た目の変化が自信につながったのですね。
そうですね。もうひとつ、大学3年生のときにダンス部の主将になったことも人生のターニングポイントになりました。部員を率いる立場になり、次第に人前に出ることの苦手意識を克服できたんです。
外見と心がポジティブに変化する過程を経験したことで、「同じように悩みを抱えている人の力になりたい」という目標ができました。
「職場に求められる人」でありたい
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──ミス日本への出場と仕事を両立するにあたり、どのようなことに気をつけていましたか?
とくに心がけていたのは、体調管理ですね。感染症の患者さんと接する機会もありますし、インフルエンザが流行っていた時期だったので。
また、ミス日本のファイナリストに選ばれたことを知って応援してくれた職員もいてうれしい反面「職場で必要とされる医師として覚えてもらいたい」という思いがありました。
そのためにどう行動すべきかを常に考え、周りの人たちがスムーズに働けるよう誰よりも早く出勤してカルテをチェックするなど、日頃から意識して取り組んでいました。
──大会の予定と勤務が重なってしまった場合は、どのように調整していたのでしょうか?
同僚にシフトを代わってもらったり、有給休暇を申請したりと早めに対応しました。
10月から本選がある1月まで毎月1回週末に、日本の文化や伝統芸能などを学ぶ勉強会があり、ファイナリストの参加が必須でした。
研修医は朝8時30分から17時30分までの日勤に加え、月に4回程度当直があるため、職場の協力も不可欠です。仕事とは異なる活動に理解を示してくれた職場に感謝の気持ちでいっぱいです。
踏み出せば自分も周りも変わる
──ミス日本への出場を通して学びはありましたか?
はい。とくに、ファイナリスト勉強会に参加できたことは有意義でした。伝統芸能、日本の歴史、ウォーキング、SNSマーケティングなど多岐にわたる項目があり、最も影響を受けたのはコーチングです。
ミス日本におけるコーチングでは、対話を通じて自身を振り返り「志」を明確にします。そこで自らの人間性や目標について、ファイナリスト同士で話し合うグループワークがありました。
これまで自分の夢や目標をかえりみたり、どう生きたいかをじっくり考えたりする機会が意外となかったことに気付きました。7時間かけて自分に向き合ったことで、生涯をかけてどのような医師になりたいのか突き詰めることができました。
──医師としての理想像はありますか?
肌を診るだけでなく、患者さんの心にも寄り添える医師になりたいです。皮膚科学のなかには、心身症と皮膚トラブルの両面にアプローチする心療皮膚科という分野があります。ストレスを抱えていると脱毛症やアトピー性皮膚炎を引き起こすことがあるように、心と肌は密接に関わり合っています。勉強会を通して、これこそまさに自分が取り組むべき領域なのではないか、と感じました。
私自身も経験したように、見た目のポジティブな変化が精神面に与える良い影響を多くの人に知ってもらいたいですし、皮膚科医としてその過程をサポートしたいです。
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──では最後に、挑戦したくても一歩が踏み出せないという人にヒントをいただけますか?
自分の夢や挑戦したいことを周りの人に言ってみるのがおすすめです。ミス日本への挑戦を口にしたとき、容姿に悩んでいたころの私を知っている地元の友人が「10年以上かけて夢に挑戦する姿に勇気をもらった」と言ってくれたのが一番励みになりました。家族や同僚も応援してくれて、目標としていることを公言すると協力者が増えるのだと実感しました。
話すのには勇気がいりますが、一歩踏み出すことで自分も周りも変化します。小さな一歩が集まればより良い社会をつくる動きにもつながると思っています。まずは身近な人に勇気を持って伝えてみましょう!