話を聞いたのは、Rさん(50歳)。4人の子どもを育てる専業主婦として過ごしていた40歳のある日、夫に癌が発覚。悪性度が高く転移の確率は69%と告げられ、抗がん剤治療が始まりました。
「もしその時が来るのなら、最期は自宅で過ごさせてあげたい」
Rさんは夫を看取ることを視野に、看護師になることを決意します。
目次
40歳専業主婦、看護師を目指す
──今から10年前の40歳のとき、パートナーに癌が見つかり、まさに青天の霹靂だったと思います。
Rさん:夫の癌は国立がん研究センターでも当時まだ40例しかない希少癌で、平均余命は1年半ほどだと言われました。転移が見つかり、食道の一部、胃、脾臓、胆嚢、リンパ節6個を摘出する手術と、抗がん剤治療をしました。
はじめはもう何から考えていいのかわからない状態で……夫や子どもの前ではできるだけ明るくいましたが、夜みんなが寝てから一人でずっと泣いていましたね。
これからの生活を考えても、途方にくれました。私は専業主婦で、下の子はまだ小学生。夫の治療費は保険でなんとかなっても、今後の生活費や学費をどうしようかと……。
医療知識がなかったので、必死に本を読んで病気や食事療法、抗がん剤について調べたんです。そうするうちに、これから夫の体調が悪くなり最期を迎えることになるなら、できれば自宅で最期まで過ごさせてあげたいと思うようになりました。
それで、知識も技術もないのなら、看護学校へ行って看護を学ぼうと思いました。
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──選択肢として浮かんだとしても、実際に行動に移せる人はそうそういないと思います。
実はそれ以前に夫の入院先の病院で、40歳くらいの看護学生の方が実習に来ているのを見ていたんです。看護師さんに「あの看護学生さん、すごいですね」と話したら「Rさんもやってみたらいいじゃないですか」と返されて。そのときは冗談半分で聞いていたんですが、ふとその会話を思い出したんです。「私にもできるかな?」って。
もし資格を取れなくても知識は残るわけだし、役立つだろうと思って、なかば勢いで准看護師の専門学校に受験を申し込みました。
試験に向けて何をしたらいいのかまったく見当もつかない状態でしたが、子どもたちの勉強を見ていたおかげもあってか、試験科目(国語・英語・数学)はなんとか解けました。面接でも緊張せずに思ったことを話せて──結果、合格できました。
40歳准看護学生、重要なのは「プライドを捨てること」
──准看護学校に入学が決まり、専業主婦から一変、学生生活が始まったわけですね。
約20年ぶりの学生生活です(笑)。9割は18歳くらいの若い子たちで、社会人は1割ほどでした。私のような専業主婦やシングルマザーの方が多かったです。クラスでは私が最年長でした。
──世代の異なる同級生と関わるのに抵抗はありましたか?
若い子ばかりの環境のなかで、うまく付き合っていけるか心配でした。最初は社会人同士で「大人もいて安心しました」なんて話すところからでしたね。
一番仲良くなったのは、18歳の女の子3人です。私の年齢を気にせず気さくに接してくれて、ランチや買い物、美容院にまで一緒に行く仲になりました。さすがに自分から誘うのは気が引けましたが(笑)。
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──学外でまで一緒に遊ぶとは、かなり仲良くなったんですね!
もともと積極的に人と関わるのが苦手な性格なのですが、そうも言っていられない環境でした。例えば看護技術のテストは、ペアを組んで患者役・看護師役に分かれて練習します。その練習相手は自分で探さなきゃいけませんし、実習はグループで動くのでみんなで一致団結しないと乗り切れません。
40歳の私が看護学校で生き抜く秘訣は「プライドを捨てること」でした。若い子たちのほうが気力も体力もずっと上で、私が彼女たちよりも上なのは年齢だけです。だから余計なプライドは捨てて、学生生活を乗り切るために協力しあえる仲間づくりが重要でした。
実際に看護師になってからも、チーム医療では周囲とのコミュニケーションや連携が必須スキルですから、学生のうちから意識しておくことは大切だと思います。
あとは看護学生の2年間は超多忙なので、上級生ともつながりを持っておいて、試験や実習の傾向や攻略法を教えてもらうのも重要です。私も親しくなった19歳の女の子にいろいろと教えてもらいました。「彼女なしで卒業できなかったのでは?」と思うくらいお世話になりましたよ。
──それだけ学生生活が大変だったんですね。
それはもう! 看護師が皆よく言うことだと思いますが、「看護師になってからよりも看護学生時代が人生で一番つらい」時期でした。
例えば実習期間は、朝9時に実習が始まって夕方4時くらいに終わります。帰宅後にその日の実習レポート20〜30枚をまとめて、翌日には提出。そして翌日もまた実習があって新しいレポートを作成して……というルーティンが半年くらい続きます。
──毎日レポート20〜30枚……!
すごいでしょう?(笑)毎晩深夜まで机に向かって、睡眠時間が2〜3時間なんて日もザラでした。
実習先の看護師さんに課題を出されたら、それもこなさなきゃいけませんし。
──実習先の看護師さんからも課題が出されるんですか?
そうです。例えばバイタルを測定するときに「血圧の正常値は?」と聞かれて、答えられないと「明日までに調べてまとめておいて」というように課題が出されます。
それでも私は比較的マシなほうだったと思います。看護師さんも大人の私には気をつかってくれたのか若い子たちよりも課題が少なかったですし、先生もレポートの修正箇所を減らしてくれてましたから。
実習先では親切な看護師さんもいますが、意地悪な人もいました。実習生を無視して報告を聞いてくれなかったり援助に入ってくれなかったり、邪魔だと追い払われたり……。はじめは謝ってばかりでしたが、このままでは実習にならないと思って、めげずに関わり続けました。そうしたら最終日には少し認められるようになって、指導してくれた看護師さんたちと泣きながらお別れする……なんてこともありましたね。
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実はこのころは、実習を通して進路についての考えが変わってきた時期でした。卒業後は看護技術を忘れないために週2日のパート勤務くらいでいいかなと思っていたんですが……会う人会う人に「正看護師を取ったほうがいいよ」と言われて、実習が終わるころには正看護師を目指したい気持ちになっていたんです。
──なぜ正看護師のほうが良いと思ったんですか?
理由はいろいろあります。正看護師と准看護師は同じ仕事をしても給料に差があります。准看護師は立場が弱いのでコンプレックスを多かれ少なかれ抱くし、一度働きだしてから再び進学するのは大変なので、このまま進学したほうがいいとも言われました。そして正看護師になった今だからこそわかりますが、知識量も大きく違います。
また別の実習先では、准看護師の学生だからとまったく相手にされなかったこともありました。「うちの病院では正看護師しか採用しないから、准看護学生に用はありません」といった様子で、悔しい思いをしたものです。
42歳正看護学生、学内上位をキープする秘訣
──そうして正看護師の免許取得を目指して、正看護学校に再び入学したのですね。准看護師の資格試験と正看護学校の入学試験、それぞれ難しくはなかったですか?
どちらの試験も難なく合格できました。
実は私、准看護学校に入ってから毎日スキマ時間に国家試験のアプリを解いていたんです。そして、どちらの試験も国試の内容からの出題だったので、ほとんど勉強せずに解けました。
──ほとんど勉強せず……!? すごくないですか?
ふふふ(笑)。アプリで十数年分の過去問を繰り返し解いていたので、問題を見ると反射的にだいたいの解答がわかるようになったんです。寝る前に布団の中で解くのがおすすめですよ、100問くらい解いてるといい感じに眠たくなります(笑)。
この日課のおかげで、実習先の看護師さんに質問されても答えられることが多かったですし、学生の早いうちからアプリで勉強しておくといいと思います。
──これを読んでる看護学生さん、絶対やったほうがいいですね。ちなみに普段の授業やテストはどう対策しましたか?
大きな声では言いづらいですが……授業中はテスト勉強をしたり睡眠時間にあてたりして、あまり真面目に受けていなかったんですよね。
あくまで最終目標は資格取得なので、そのための最短ルートで学習を進めたいと考えてました。教科書にも書かれている内容をノートに書き写すのは無駄なので、必要なことは教科書に直接書き込んだり付箋を活用したりしました。すると見返すときにも教科書一冊だけで済みます。
堂々と言えた学習態度ではありませんが、この勉強法とアプリのおかげで、国試の模試では学内で上位を取れていました。
──学内上位! でもRさんの場合、学業だけでなく家庭もありますし、確かにそのくらい戦略的でないとやっていけなさそうです。
家に帰れば療養中の夫と子どもたちがいて、家事も当たり前にあるので帰宅後はできるだけ勉強したくなかったですね。
それでも忙しい時期やテスト前はさすがに学習時間が足りないので、テストの2〜3日前から学校近くのホテルに寝泊まりして通学するときもありました。
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でも振り返ってみると、正看護学生時代は准看護学生よりも楽でした。先ほどお話したように、以前は「准看護学生だから」と相手にされないときもありましたが、正看護学生になってからは実習先でもちゃんと扱ってもらえるようになりました。もちろん、学校ごとに差があるかもしれないので、一概にそうとは言えませんけれど。
──就職活動についてはどうでしたか?
一般的には、1年生の冬ごろからインターンシップや就活セミナーに参加して、自分の進みたい方向性を決めます。そして2年生の春に希望する病院の選考を受けて、夏から秋にかけて就職先が決まる人が多いようです。
でも私の場合「パートで週1〜2日働ければいいや」というのは准看のときから変わっていなかったので、同級生から誘われて一緒に説明会に参加する程度でした。
そんななかで「参加したらテーマパークのチケットがもらえるから一緒に来て」という誘いに乗っかり(笑)、被災経験のある病院の説明会に参加したら……とても感動してしまって。自宅から約60キロとさらに遠い病院でしたが、そこで働きたくなったんです。
当時の看護部長にこれまでの境遇を話すと、とても応援されて、卒業後にどう働きたいのかと尋ねられました。それで「オペ室で働きたいです」と答えたんです。
──オペ室? なぜですか?
実は実習先でオペ看の補助を担当したことがあり、そのときの体験が忘れられなかったんです。術前のゆるい雰囲気からオペが始まる緊張感のある空気に変わる瞬間は、オペ室でしか味わえません。
とくに印象的だったのは帝王切開の直接介助で、お母さんの意識があるなか泣きながら子どもの誕生を迎える瞬間は言葉にできませんでした。私も泣きながら生まれたての赤ちゃんを抱いて、体重測定やバイタル測定をしました。
オペ看は手術で何時間も立ちっぱなしで体力もいりますし、病棟業務ともまったく異なるので、若いうちから経験を積んでいくことが一般的です。なので40代の新人看護師がいきなり配属されるのは滅多にないケースですが、「試験だけでも受けてみて」という看護部長に背中を押されて受けてみたら──採用してもらえることになりました。それが、2年生の5月頃だったと思います。
──そのまま就職まで決まったんですね! そうなると、あとはカリキュラムを修了して国家試験を残すのみですが……やはり、国試は「難なく合格」ですか?
はい、順調に合格しました(笑)。
44歳新人看護師、オペ看になる
──念願の正看護師免許を取得して、希望のオペ室にも配属されて、いよいよ看護師としての仕事が始まったわけですね。
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ただ入職後2ヶ月はジョブローテーションでいろいろな診療科や病棟を経験して、そのうえで希望をとって本配属が決まる仕組みでした。私は変わらずオペ室を希望しました。
オペ看の仕事は、細かい器具や特殊な装置など覚えることが多く大変でした。でも人間関係に恵まれていたので同僚にたくさん助けてもらいながら、なんとか働き、充実していましたよ。
……ただ、体力的にはきつかったです。オペは短くて2時間、長いと6時間以上立ちっぱなしということもあり、常に神経を張り巡らせているので、終わると疲れ切ってしまって。さらにタイミングが悪いことに、私のプリセプターと先輩看護師の2人が同時期に休職して人員が半分くらいにまで減ってしまい、新人の私にかかる負担が一気に増しました。
オペ看なので夜勤はありませんが、遅いときには22時をまわって帰宅する日もあり、次第に体力に限界がきました。吐き気とめまいを覚えるようになって、手術室のモニター音が家の中でも聞こえるようになったんです。
──そこまで追い詰められてしまったんですか。
もっと若くて体力があれば……と思いましたね。
そんな状態なので、家のこともおろそかになりました。何日もレトルト食品が続いたり、家事が夫任せになったり……子どもは受験を控えているのに何もしてあげられませんでした。
家族のために始めた仕事なのに、家族を犠牲にしている。これは違うと思って、一度リセットしようと1ヶ月ほど休職期間をもらってから復帰したんですが……どうしても身体がついていかず、退職することに。オペ看として働いて、3年ほど経ったころでした。
47歳看護師、一人ナースの職場へ転職
──では、それからしばらくは療養に専念された?
それが、自宅から歩いて通える距離にある精神科外来で時短パートとして働くことになったんです。実はその外来には1年ほど前から通院していて、漢方薬や睡眠薬を処方してもらっていました。
担当の院長先生にオペ看を辞める話をしたら「家の近くで時短でゆっくり働いたら?」と、その院で働く提案をしてくれたんです。夫や子どものことが落ち着いて余裕ができたらフルタイムに切り替えればいいよと言ってくださって。本当にありがたかったです。
──片道60キロの通勤距離が、徒歩圏内になったわけですね。
はい(笑)。通勤時間がなくなり時短にもなったことで、体調も回復し余裕をもって家族とも過ごせるようになりました。
ただ、今の職場は過疎地にある分院で、スタッフが数人しかいないんです。院長先生1人と看護師の私1人とほかのスタッフ数人だけの、『Dr.コトー診療所』みたいな職場です。
そして私はオペ室しか経験がないので、採血や点滴などの看護技術が下手で……。患者さんには本当に申し訳ないことですが、代わってもらえる看護師もいないので、うまくいくまで我慢してもらうしかないんですよね。
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──看護師一人体制だと不安ではないですか?
不安です。山の中なので、蜂に刺されてアナフィラキシーショックを起こした患者など、急患が運ばれてくるときもあります。なので早く的確に応急処置をして、先生や本院に連絡をつなげるように、日頃から救急対応のシミュレーションをして備えています。
50歳看護師、現在とこれから
──話を聞きながらずっと気になっていたのですが……、旦那さんの体調はその後いかがですか?
癌の発覚から3回の転移を繰り返しましたが、そのたびに即治療をしてきたおかげで、完治まではいきませんが仕事にも復帰していますよ。まだ比較的若いので、治療できる体力があったのが良かったです。
私が看護学生の間は、休職中の夫を除いて全員学生で、働いている人がいないという不思議な家族でした(笑)。大変な時期をみんなで支え合いながら、夏休みには家族旅行に出かけたりして、貴重なひとときを過ごすこともできました。
あと2、3年したら子どもたちが全員卒業するので、フルタイム勤務への切り替えを考えています。そうしたら本院の病棟で経験を積んで、認知症認定看護師を取得したいですね。
──認定看護師ですか! キャリアアップを目指すのですね。
今はパートの身ですが、職場が費用を負担して研修にも通わせてくれているんです。まだまだ新人に毛が生えたような私のことを院長先生はとても応援してくれているので、その気持ちに応えたいですし、参加していた受講生──師長や主任クラスの方が多く、私のようなヒラの看護師はほとんどいなかったんですけど──皆さんが自分の仕事に誇りを持っている姿を見て、とてもかっこいいな、私ももっと頑張りたいと思ったんです。
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──これまでの10年間は怒涛の日々だったと思いますが、何がRさんをそこまで突き動かしてきたと思いますか?
負けず嫌いな性格なのだと思います。私は家庭の事情があり高卒で社会に出ましたが、周囲は大卒者ばかり。低学歴扱いを受けることも多く、ずっとコンプレックスを抱えたまま結婚し専業主婦になりました。そして夫が突然病気になり、自分が働かなくてはならなくなった。
夫の看護ももちろん目的でしたが、「時給890円のパートです」というよりも「看護師です」と胸を張って言える仕事に就きたかったのだと思います。
──ちなみに、社会人から看護師になった同級生たちが今どうしているかご存じですか?
私もその一人ですが、ひとつの職場で続いている人は少ないです。転職を繰り返す人が多く、老健やデイケアなどの介護施設に落ち着く人が多いようですね。
社会人から看護師になる人が増えているとはいえ、最初はやっぱり大変です。体力的なハードルもありますし、なにより人間関係でつまずく人が多い。
仕事を教わる先輩看護師が二十歳そこそこで、タメ口でダメ出しされたりもします。私は先輩を持ち上げながら一応うまくやってきましたが、そういう割り切りが苦手な人にとっては難しいかもしれません。
──決して楽な道ではなかった。
はい。それでも、看護師は“ゴールド免許”ですから。選ばなければ仕事はあるし、どこに行っても働けます。私の知り合いに、60歳で看護師になった人もいますよ。
学生時代は超多忙で、働きだしてからの苦労もたしかに多いです。引き換えに、一生使える資格を得た安心感と、自分は看護師なんだという自信が持てました。私はこれからも働けなくなるまで、ずっと看護師としてやっていきます。